2015年07月24日
タイフェスティバル出演紹介
静岡浅間木遣りの紹介

木遣り唄は、古くは東海道の整備された妬く、400年前ぐらいから駿府城、浅間神社、久能山東照宮等の造営に
あたり、全国より集合した、建築関係の人々により木遣りが唄われていたが、先の大戦により一時消滅していた、
木遣りと山車運行の為、昭和25年(1950年)新たに「静岡浅間木遣保存会」として再開し現在に至りました。
約50年の活動暦となっている。浅間神社木遣保存会は、祭事木遣、建方木遣、ご祝儀木遣等を総合的かつ、
昔よりご当地駿府に受け継がれた伝統木遣りを保存継承しております。

『木遣り唄』と言えば、消防の出初式のアトラクションに行われる、火消し鳶職達が
梯子乗りで合唱する『江戸木遣唄』が有名です。と言うよりも、大抵の人達が『木遣り唄』とは
『江戸木遣り唄』の事だと思っているようです。
実は、『江戸木遣り唄』は仕事唄の木遣り唄が磨き上げられて、儀式などで唄う祝儀唄に
変化したものなのです。
木遣りには2種類があり、材木等の重量物を移動するときに唄われる木引き木遣りと、
土地を突き固めるいわゆる地形の際に唄われる木遣りとがあります。 日本火消し保存会の
木遣りは地形木遣りに属します。

木場の木遣り
木遣とは木を遣り渡す(運ぶ)という意味で、戦国時代から木材の伐出(ばっしゅつ)や
築城の際に息をあわせるために歌われるようになった労働歌である。木場の木遣(きやり)は、
徳川家康が江戸城造営の際に連れてきた材木商が川並(かわなみ)(筏師/材木業者)に
伝えたものといわれている。
元禄の初めには両国の七つ谷の間部河岸という所で三代将軍家光に筏の小流し(さながし)、
角乗り木遣を奉納し、以後年中行事となったと伝えられている。明治12年(1879)アメリカ合衆国
第18代大統領、グラントが来日の際には、上野の不忍池で上覧の栄に浴した。

『木場の木遣り』と『鳶の木遣り』
江戸の木遣には二種類あり、材木等の重量物を移動するときに唄われる木遣と、
土地を突き固める地形(じぎょう)の際に唄われる木遣とがある。川並の木遣は
前者であり、鳶の木遣は後者である。
素人が聞くと区別がつかないが、玄人衆ははっきりと聞き分けるものである。
『鳶の木遣り』
鳶木遣りは、町火消が鳶職人を中心に編成されたため、木遣も、ごく自然に
町火消の中に溶け込み、受け継がれていった。曲は真鶴のほか、地・くさり物
・追掛け物・手休め物・流れ物・端物・大間など8種110曲がある。
昭和31年(1956)、江戸町火消によって受け継がれてきた「江戸の鳶木遣」が
東京都の無形民俗文化財に指定され、社団法人・江戸消防記念会がその
保存団体となっている。深川祭でパレードするのは鳶木遣の方である。
「木遣り(きやり)」、本来は、読んで字のごとく木を遣り渡す(運ぶ)という
意味ですが、威勢のいい町火消のお兄さん達に唄われる唄のことです。
もともとは、大木など運び出す時、その力を一つにまとめるための掛け声、
合図として唄われたものでした。
このように作業唄であったものが、寺社や家などを建築すること自体が慶事で
あったことからおめでたい唄として唄われるようになりました。
江戸の中期ごろには鳶職人の人達の間で盛んに唄われていたそうで、
そのうち町火消が鳶職人を中心に誕生したため、木遣り唄も自然と町火消の
中に溶け込み、受け継がれていったといわれています。
木遣り唄を唄う場合は、音頭をとる木遣師と、受声を出す木遣師が交互に唄います。
「よ~お~ん~やりよ~お~」と始まる、今回の「木遣り初め」で唄われた
「真鶴」(曲名)の他、江戸消防記念会の資料によると、地曲・くさり物・追掛け物
・手休め物・流れ物・端物・大間など8種110曲があるようです。
この木遣り唄を大切に受け継いできた町火消の姿は、今回上演された
「盲長屋梅加賀鳶」の他、「伊勢音頭恋寝刃」「神明恵和合取組(め組の喧嘩)」
など歌舞伎でもよく登場します!!


木遣り唄は、古くは東海道の整備された妬く、400年前ぐらいから駿府城、浅間神社、久能山東照宮等の造営に
あたり、全国より集合した、建築関係の人々により木遣りが唄われていたが、先の大戦により一時消滅していた、
木遣りと山車運行の為、昭和25年(1950年)新たに「静岡浅間木遣保存会」として再開し現在に至りました。
約50年の活動暦となっている。浅間神社木遣保存会は、祭事木遣、建方木遣、ご祝儀木遣等を総合的かつ、
昔よりご当地駿府に受け継がれた伝統木遣りを保存継承しております。

『木遣り唄』と言えば、消防の出初式のアトラクションに行われる、火消し鳶職達が
梯子乗りで合唱する『江戸木遣唄』が有名です。と言うよりも、大抵の人達が『木遣り唄』とは
『江戸木遣り唄』の事だと思っているようです。
実は、『江戸木遣り唄』は仕事唄の木遣り唄が磨き上げられて、儀式などで唄う祝儀唄に
変化したものなのです。
木遣りには2種類があり、材木等の重量物を移動するときに唄われる木引き木遣りと、
土地を突き固めるいわゆる地形の際に唄われる木遣りとがあります。 日本火消し保存会の
木遣りは地形木遣りに属します。
木場の木遣り
木遣とは木を遣り渡す(運ぶ)という意味で、戦国時代から木材の伐出(ばっしゅつ)や
築城の際に息をあわせるために歌われるようになった労働歌である。木場の木遣(きやり)は、
徳川家康が江戸城造営の際に連れてきた材木商が川並(かわなみ)(筏師/材木業者)に
伝えたものといわれている。
元禄の初めには両国の七つ谷の間部河岸という所で三代将軍家光に筏の小流し(さながし)、
角乗り木遣を奉納し、以後年中行事となったと伝えられている。明治12年(1879)アメリカ合衆国
第18代大統領、グラントが来日の際には、上野の不忍池で上覧の栄に浴した。
『木場の木遣り』と『鳶の木遣り』
江戸の木遣には二種類あり、材木等の重量物を移動するときに唄われる木遣と、
土地を突き固める地形(じぎょう)の際に唄われる木遣とがある。川並の木遣は
前者であり、鳶の木遣は後者である。
素人が聞くと区別がつかないが、玄人衆ははっきりと聞き分けるものである。
『鳶の木遣り』
鳶木遣りは、町火消が鳶職人を中心に編成されたため、木遣も、ごく自然に
町火消の中に溶け込み、受け継がれていった。曲は真鶴のほか、地・くさり物
・追掛け物・手休め物・流れ物・端物・大間など8種110曲がある。
昭和31年(1956)、江戸町火消によって受け継がれてきた「江戸の鳶木遣」が
東京都の無形民俗文化財に指定され、社団法人・江戸消防記念会がその
保存団体となっている。深川祭でパレードするのは鳶木遣の方である。
「木遣り(きやり)」、本来は、読んで字のごとく木を遣り渡す(運ぶ)という
意味ですが、威勢のいい町火消のお兄さん達に唄われる唄のことです。
もともとは、大木など運び出す時、その力を一つにまとめるための掛け声、
合図として唄われたものでした。
このように作業唄であったものが、寺社や家などを建築すること自体が慶事で
あったことからおめでたい唄として唄われるようになりました。
江戸の中期ごろには鳶職人の人達の間で盛んに唄われていたそうで、
そのうち町火消が鳶職人を中心に誕生したため、木遣り唄も自然と町火消の
中に溶け込み、受け継がれていったといわれています。
木遣り唄を唄う場合は、音頭をとる木遣師と、受声を出す木遣師が交互に唄います。
「よ~お~ん~やりよ~お~」と始まる、今回の「木遣り初め」で唄われた
「真鶴」(曲名)の他、江戸消防記念会の資料によると、地曲・くさり物・追掛け物
・手休め物・流れ物・端物・大間など8種110曲があるようです。
この木遣り唄を大切に受け継いできた町火消の姿は、今回上演された
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など歌舞伎でもよく登場します!!

静岡日タイ協会規約はこちらをご参照ください
静岡日タイ協会規約
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Posted by 静岡日タイ協会-NO-1 at 08:42│Comments(0)
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