2019年05月24日

第14回 山田長政献茶供養祭

5月19日(日)9時30分より、「静岡長政保存会」の皆さんにより、静岡市葵区富厚里にて
第14回山田長政献茶供養祭りが開催された。
新茶の献茶供養祭には、藁科川流域の多くの方々が集まり、盛大に開催されました。
静岡日タイ協会も墓前に献茶、当時の富厚里村で生まれ、タイのアユタヤで大活躍をした故人を
偲び供養をしました。
第14回 山田長政献茶供養祭第14回 山田長政献茶供養祭
400年前の郷土の偉人の供養祭を継続して開催する地元の熱意を感じる祭りでした。
時も同じころ、今川義元公の生誕500年祭が静岡市の臨斎寺でも開催されており
静岡市の偉人に触れる一日です。
第14回 山田長政献茶供養祭第14回 山田長政献茶供養祭
                                   2019年5月19日
                                       静岡日タイ協会 事務局次長 井上
【山田長政とは】 
長政は1590年に駿河国の母方の在所(現-静岡市葵区富厚里)で第14回 山田長政献茶供養祭
生まれたと伝えられ。その後、沼津藩に仕えて藩主の駕籠を担ぐ仕事(駕籠者は陸尺=ろくしゃく、六尺とも書く)をしていました。
屈強な体格で長政は武士の身分ではありましたが末端の身分でした。
長政は武士として戦に出陣し、出世できるチャンスがあるかと思いましたが、時代は徳川家が治める
江戸時代で、泰平の世となったこの時代に武士の活躍は少ない時代でした。
そこで、日本ではなくて海外なら武士として活躍できるチャンスがあるのではと思った長政は1612年
に駿府の豪商の朱印船に乗り、タイへ向かいます。
タイの国際都市アユタヤに着くと現地にいた日本人傭兵隊に加わります。
そして、当時のタイはビルマ(現ミャンマー)との戦の真っ最中で多くの戦を生き抜いた
日本人傭兵が勝利の要となっておりました。
又、ビルマの他にアユタヤ港を攻めてきたスペイン艦隊を2度も退けた長政は
日本人傭兵隊の指揮を任され、当時の王ソンタムから重用されるようになりました。第14回 山田長政献茶供養祭
さらに、ソンタム王の信任を受け貿易商としても活躍し、各国との経済戦争に打ち勝ち、
アユタヤでの貿易を一手に引き受けるくらいまで発展させます。
その勢いは世界最大とも言われる東インド会社を撤退させてしまうくらいでした。
このような功績が認められ、長政は元和7年(1621)に日本人町の頭領になり、
老中、土井利勝と本多正純を介して日本とタイ(当時はシャム)の国交に尽力しました。
長政は、ソンタム王の信頼を得ていく内に寛永5年(1628)には官位制度の三位である
「オークヤ―・セーナピモック」を任ぜられます(セーナピモックは軍神の意味)。
しかし、翌年にソンタム王が跡継ぎを決めないまま崩御してしまい、王位継承を
巡る政戦にソンタム王の信任を得ていた長政は巻き込まれてしまいます。
長政は、宮内長官であるシーウォラウォンと協力してソンタムの子どもを王位に
就かせますが、新しい王の後見人となったシーウォラウォンが長政を排除しようと考えます。
そして、長政はアユタヤから遥か南にあるリゴールという王国の内乱を鎮めるために
リゴールへ向かわされます。
リゴール(現ナコンシ―タマラート県)の内乱を平定した長政はリゴール王(六昆王)に
任ぜられました。
リゴール王となったのも束の間、寛永7年(1630)のアユタヤではシーウォラウォンが
国王を殺害し国王となっていました。
これを聞いた長政はシーウォラウォンの暴走を止めるためにアユタヤへ向かおうと
しますが、侵入してきた隣国のパタニ軍との戦の最中に負傷してしまいます。
傷を癒そうと塗った軟膏に毒が含まれており、それが原因で長政は41歳で亡くなった
と伝えられている。
長政死後の日本人町はシーウォラウォンによって焼かれ廃墟となってしまいました。

駕籠者から一国の王になる出世を遂げた長政。日本とタイを繋げるために老中に
斡旋する姿勢は日本とタイが好きという証拠でもあると思ってしまいますね。
山田 長政(やまだ ながまさ、天正18年(1590年)頃 - 寛永7年(1630年))は、
江戸時代前期にシャム(現在のタイ)の日本人町を中心に東南アジアで活躍した人物。
通称は仁左衛門(にざえもん)。
出生は駿河国の富厚里とされるが、同じく駿河国の馬場町、伊勢国や尾張国とする説もある。
沼津藩主・大久保忠佐に仕え、六尺(駕籠かき)をしていたが、その後1612年に朱印船で
長崎から台湾を経てシャムに渡った。
後に、津田又左右衛門筆頭の日本人傭兵隊に加わり、頭角を現しアユタヤー郊外の
日本人町の頭領となった。その後、アユタヤ国王より高官に任ぜられ王女と結婚したという
伝説が生まれたが、タイ側の記録に該当する人物が見られないことから、その歴史的実像は
明らかでない部分が多い。 (Suk)
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