2009年05月25日
父親探し最終章
ケイゴ君、母親の遺影に報告
ようやく日本にいる父親と国際電話で話のできたサトウ・ケイゴ君(9)に、靴や衣類、菓子メーカーなどから続々と祝いの品が届いている。また、ケイゴ君の「父親探し」に感動した一般の人々からは、これまでに現金20万バーツ以上が寄せられている。また、ケイゴ君をモデルにした劇画を制作したいとのオファーもあったという。
しかし、ケイゴ君を養育している叔母は、ケイゴ君が世間から注目を浴びていることに戸惑いを隠せず、「ケイゴには自分を見失わないよう、よく言い聞かせている」と話している。
母親の病死後、ピチット県内の寺院で叔母を手伝いモノ売りをしていたケイゴ君だが、「世間で注目されても僕の生活は変わらない」としている。
一方、バンコクからピチット県の自宅に戻ったケイゴ君は、さっそく母親の遺影の前で手を合わせ、「日本のお父さんと話すことができました。いつかピチットに来てお母さんの供養をすると約束してくれました。もう何も心配しないでね」と報告したとのことだ
素晴らしい最終章でほっとしています。
ようやく日本にいる父親と国際電話で話のできたサトウ・ケイゴ君(9)に、靴や衣類、菓子メーカーなどから続々と祝いの品が届いている。また、ケイゴ君の「父親探し」に感動した一般の人々からは、これまでに現金20万バーツ以上が寄せられている。また、ケイゴ君をモデルにした劇画を制作したいとのオファーもあったという。
しかし、ケイゴ君を養育している叔母は、ケイゴ君が世間から注目を浴びていることに戸惑いを隠せず、「ケイゴには自分を見失わないよう、よく言い聞かせている」と話している。
母親の病死後、ピチット県内の寺院で叔母を手伝いモノ売りをしていたケイゴ君だが、「世間で注目されても僕の生活は変わらない」としている。
一方、バンコクからピチット県の自宅に戻ったケイゴ君は、さっそく母親の遺影の前で手を合わせ、「日本のお父さんと話すことができました。いつかピチットに来てお母さんの供養をすると約束してくれました。もう何も心配しないでね」と報告したとのことだ
素晴らしい最終章でほっとしています。
Posted by 静岡日タイ協会-NO-1 at
18:47
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